大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

岐阜家庭裁判所 昭和37年(家)507号 審判 1963年5月31日

申立人 山本光子(仮名)

相手方 松田明(仮名)

主文

相手方は申立人に対し財産分与として金一二〇万円を次のとおり支払うこと

(1)  内金五〇万円は即金。

(2)  残金七〇万円は昭和三八年より昭和四七年まで各一二月の末日限り各七万円宛。

理由

本件申立の要旨は、「申立人は相手方と昭和一九年一月二日結婚式を挙げ、同月二七日婚姻届をなし、その後夫婦として同棲し、婚姻中は小学校教諭として勤務し、その収入のすべてを相手方に提供してきた。そのため相手方は評価額七七五万円相当の資産を有するにいたつたが、昭和三七年四月三日調停離婚したので、相手方より財産分与として金二五〇万円を得たく、本件申立に及ぶ」というにある。

よつて審按するに、申立人が相手方と昭和一九年一月二日結婚式を挙げ、同月二七日婚姻届をなし爾来夫婦として同棲し、昭和三七年四月三日調停離婚したことは本件記録編綴の戸籍謄本の記載、申立人及び相手方に対する各審問(いずれも第一、二回)の結果によつて明かである。ところで民法第七六八条に規定する財産分与請求権は離婚に際して当事者の一方から他方に対してなされる財産的給付であるが、それは夫婦間における共有財産の清算を中核として、離婚後の扶養と離婚に伴う損害の賠償を内容としているとせられているので、これらを基準として、前掲証拠ならびに登記簿謄本、森新二、佐藤幸子、山本みえ、松田はる、大原新一に対する各審問の結果、鑑定人郷静雄の鑑定結果、及び家庭裁判所調査官の調査結果報告書によつて離婚にいたつた事情、相手方の資産状況等を検討した上、相手方に分与させるべきかどうかならびに分与の額及び方法を判断する。

第一離婚にいたるまでの事情

一  申立人は旧制高等女学校本科を卒業し、直ちに国民学校助教となり、その後国民学校訓導として勤務中昭和一九年一月相手方と婚姻した。ところが当時相手方は東京高等師範学校特設の傷い軍人教員養成所に在学中であつたためその卒業を待ち、同年九月相手方が上記養成所を卒業して岐阜市内の高等女学校に勤務するにいたるとともに、同市内に一家を構え、相手方との結婚生活に入つた。そして家事一切は当時同居中の相手方の母はるに委し、相手方と一緒に教員生活を続けてきた。ところが申立人は男性的な性格で気性が強く、相手方は神経質的傾向をもつていて、二人の性格が全く異なつており、また申立人は平素自己の能力を過信して相手方を低く見下げ、同僚の男性教員とも自由に振舞い、相手方は申立人のこの態度に猜疑心を抱き常に不快に感じていたため夫婦仲は必ずしも円満ということができなかつた。そのため二人はことがあれば対立し、時々喧嘩口論を重ねていたが、相手方の母も相手方に同情して相手方に加担するような態度にでたため、家庭内には絶えず冷たい空気が流れていた。その結果、昭和三六年一月末申立人が伊東温泉へ宿泊旅行してきたのがきつかけとなり、二人の不和が昂じ、遂に別居するにいたり、そして相手方及び申立人からそれぞれ離婚の調停が申立てられ、昭和三七年四月三日調停離婚するにいたつたものである。

二  上記事実によつて申立人が相手方と離婚するにいたつた事情を検討すると、申立人の強い性格と相手方を低く見下げるような態度が原因となつて今日の事態を招来するにいたつたようにも見受けられるが、相手方にもこれを誘発するような原因のあつたことが窺われるのであつて、一概に申立人のみを責めることができないように思われる。結局、申立人が離婚するにいたつたのは二人の性格の相違が主要な原因となつているのであつて、本件離婚については両者いずれか一方のみを非難することができないと考えられる。

第二相手方の資産状況ならびに申立人の協力の程度

一  上記のように、申立人は昭和一九年九月相手方と結婚生活に入つたのであるが、当時、相手方には資産というものがなく、相手方との俸給をもつて生活してきた。そしてこの状態は昭和三六年一月末相手方と別居するまで続いたが、その間申立人は俸給のうちから合計二、六八七、六三〇円を相手方に差し出し、これと相手方の俸給合計三、五〇一、五五五円とで三人の生計を維持してきた(別紙参照)。そして相手方がこれらの管理にあたつてきたが、このうち申立人が相手方に差し出したものは、ほんらい、申立人の特有財産とみるべきものである。しかしこれは婚姻費用の分担分として相手方に提供したものとみるのが妥当であつて、その余と相手方の俸給から同じように婚姻費用の分担分を除いた金額とが合算されて夫婦共稼ぎによる両者共同の蓄積を構成していたとみるべきであろう。従つてこの蓄積は実質的には夫婦の共有財産とみるべきものであるが、相手方はこの大半をもつて土地建物等を購入し、離婚当時、現にこれを所有していたのであるから、これらが本件財産分与の主要な対象となる。

二  離婚当時における相手方名義の資産は次のとおりである。

<1>  不動産

(1) 岐阜市長良海用町○丁目○○番

宅地一四六坪八五

(2) 岐阜市長良字海用畑○○○番

家屋番号 校前町○丁目○○番

木造瓦葺平屋建居宅

建坪 一三坪五(実坪約二五坪)

<2>  動産

(1) 預金

(イ) 普通預金 昭和三六年三月末現在  三八、三七九円

(ロ) 定期預金 昭和三六年三月末現在 一七一、八七七円

(2) 株式

三共製薬株式会社株式    一〇〇株

小野田セメント株式会社株式 二〇〇株

株式会社十六銀行株式     二〇株

帝国人絹株式会社株式    一〇〇株

東洋高圧株式会社株式    一二四株

八幡製鉄株式会社株式    一〇〇株

以上昭和三七年一〇月末現在価格 七六、七六〇円

(3) 出資金

溝旗保育園に対する出資金四五万円

(4) その他家財道具等

応接セット、応接タンス、テレビ、仏壇等(時価合計 約二〇、〇〇〇円)

<3>  前記資産のうち、

<1>の(1)の宅地は昭和三三年一月一〇日畑三畝七歩、昭和三五年一月一二日畑一畝一九歩として合計一〇五万円で買受けたものであるが、時価は三、三七七、五五〇円と評価される。

<1>の(2)の建物は昭和二四年六月頃叔父大原新一よりその宅地を借り受け、その地上に建築費一七万円で新築したものであるが、その後応接室、隠居部屋等を増改築し、約一七万円を投じている。この建物の時価は一八九、五〇〇円と評価される。

<2>の(1)の預金は昭和三五年一〇月末現在預金高合計五二〇、二四〇円であつたが、そのうち岐阜長良北町郵便局貯金の貯金高一九万円の分は別居当時申立人が相手方から贈与を受けた。

<2>の(3)の出資金は利益配当が一年二ヵ月間に一一回あつたが、先に溝旗保育園につき岐阜市吏員の横領事件があり出資金の回収は至難の状況となつている。従つてこの出資金は資産としてあげることはできないと考えられる。

<2>の(4)の家財道具等の購入価格は四九四、六〇〇円であると申立人は述べている。しかし使用年数等を考慮すると、その時価は合計二〇、〇〇〇円程度と評価される。

以上資産の評価額は合計三、八七四、〇六六円となるが、これが本件清算の場合の基準価額となる。

三  前記のように申立人は家事一切には全く関与せず、相手方の母はるにこれを一任していたのであるから、家庭内の生活の面においては特に申立人の協力としてあげるべき事情はないといつてよい。申立人は結婚当時相手方の亡父の遺した負債が一、〇〇〇円あつて、これを申立人等の給与をもつて返済したと述べているが、これを証する資料がない。

第三離婚後の双方の生活状況

一  申立人は離婚後二女昌子(昭和二二年一〇月二日生)の親権者となり、昌子とともに岐阜市内に間借り生活を始め、離婚前と同じように小学校教諭をしている。そして現在俸給手取額一ヵ月三四、〇〇〇円を得ている。なお申立人の実家には父母両親が健在し、田畑約一町五反歩位を有しており、村有数の旧家に属する。従つて申立人の今後の生活は、経済的には全く不安がないといつてよい。

二  相手方は離婚後永田良子と婚姻し、現在母はると三人で生活している。そして前と同じように岐阜市内の高等学校に教諭として勤務し、俸給一ヵ月四五、〇〇〇円を得外に傷い軍人恩給一ヵ月二、〇〇〇円余を得ている。

以上の諸事情を総合して勘按するに、申立人が家事に寄与した程度は僅かであつたとしても、相手方の資産に対して寄与した程度は大きく、相手方の資産はすべて申立人の収入に依拠して購入されたものであり、実質的には申立人との共有財産ともいうべきものであるから二人が離婚した以上、その資産の所有者である相手方は申立人に対し当然その財産を分与すべき義務があるといわなければならない。そこでその分与額であるが、これは申立人に相手方から受けた財産があればこれを相手方の資産に加え、それから申立人の寄与の程度等を考慮して分与額を定めることが妥当な措置であると考えられる。この観点にそつて本件を調べてみると、前記認定のように申立人は相手方と別居当時既に貯金高一九万円の普通貯金を相手方から贈与を受けているのであるから、これを相手方の資産に加算してこれを相手方の資産とする。そうすると相手方の資産は総額四、〇六四、〇六六円となるが、申立人の寄与の程度を、申立人の相手方に提供した俸給額と相手方の取得した全収入額と対比して計算すると、上記資産に対し約四三%であるということができるので、これを上記資産に従つて計算すると、その額約一七五万円となる。これが分与額の一応の基準価額となる。しかし、家事については申立人が殆んど関与せず、相手方の母がこれを処理していたという家庭生活の実態に照すと、相手方の母の寄与を無視して分与額を定めることは妥当でない。この母の寄与をどの程度に評価するかは難しい問題であるが、家事労働の実体に即して一〇%程度とみるのが適当であろう。そしてこれは申立人と相手方との双方において、各自の寄与の程度に応じ負担すべきものであるから、申立人の寄与の程度もこれに応じて減ずることになり、前記基準額は約一五七万円ということになる。これが次に考えられる分与額の基準価額であるが、これより前記相手方よりの贈与額を差引き、なお本件に顕われた諸般の事情を参酌して、本件分与額は一二〇万円をもつて相当であると認める。そしてその支払方法は相手方の資産状況を考慮して、内五〇万円を即金、残金七〇万円は昭和三八年より昭和四七年まで毎年一二月の末日限り各七万円宛分割して支払うのが相当と認められる。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 小森武介)

別紙

申立人の家計寄与状況(本俸のみ)一覧表

(表イ) (但し、賞与は三ヵ月分として算出した)

当事者

項目

昭和年

当事者双方

相手方

申立人

収入合計額

収入

(含恩給 除扶養手当)

収入額

総収入に対する比率

一九

二〇

二一

二二

二三

二四

二五

二六

二七

二八

二九

三〇

三一

三二

三三

三四

三五

三六(一月分のみ)

九六二

二、二六五

一二、四七九

一八、二四〇

一〇四、八〇九

一六五、四三八

一七二、九七六

二六六、八〇〇

三三四、〇五〇

四一一、四〇〇

五二二、一〇〇

五五二、二〇〇

五九五、三〇〇

六六〇、七〇〇

六九五、五〇〇

七四九、三五〇

八六〇、五五〇

六四、〇六六

六、一八九、一八五

四四六

一、五八〇

七、七三八

一二、一二〇

五九、四五〇

九〇、八二五

九六、二三〇

一四八、七〇〇

一八七、〇〇〇

二二七、八〇〇

二九一、六〇〇

三一二、六〇〇

三四二、四〇〇

三七二、〇〇〇

三九四、〇〇〇

四二八、六〇〇

四八七、八〇〇

三六、六六六

三、五〇一、五五五

五一六

六八五

四、七四一

六、一二一

四五、三五九

七四、六一三

七六、七四六

一一八、一〇〇

一四七、〇五〇

一八三、六〇〇

二三〇、五〇〇

二三九、六〇〇

二五二、九〇〇

二八四、七〇〇

三〇一、五〇〇

三二〇、七五〇

三七二、七五〇

二七、四〇〇

二、六八七、六三〇

五三・六

三〇・二

三八・〇

三八・六

四三・二

四五・一

四四・四

四四・三

四四・〇

四四・六

四四・二

四三・四

四二・五

四三・一

四三・四

四二・八

四三・三

四二・八

四三・四

申立人の家計寄与状況(除扶養手当)一覧表

(表ロ) (但し、賞与法定通り)

当事者

項目

昭和年

当事者双方

相手方

申立人

収入合計額

収入額

収入額

総収入に対する比率

三三

三四

三五

七四一、五三三

七九四、九八四

九〇八、六九六

二、四四五、二一三

四一八、〇七八

四五一、九六四

五二一、六九六

一、三九一、七三八

三二三、四五五

三四三、〇二〇

三八七、〇〇〇

一、〇五三、四七五

四三・六

四三・一

四二・六

四三・一

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例